結婚4年目のその日よりスタートしたアメリカでの新生活。小さなことから大きな(?)ことまで格闘しながら学んだり楽しんだり…。
エンジンフル回転に駆け抜ける日々の記録や戯言・ぼやきなど。



2008年8月28日木曜日

るつぼで溶かされて

人種のるつぼ。
中学の時くらいだったか、社会科で登場したような言葉。
アメリカを表現した言葉だ(ったと思う)。
テストのために覚えたような記憶がるけど
はてなんだろう?と立ち止まり箱をあけてみようという
プロセスには至らなかった。
なので、人種のるつぼといわれても
人種のるつぼという無機質な単語でしかなかった。
強いていえば、思春期の私は「蛇使い」を連想していた覚えならある。

しかし、こちらへ来て2か月。
ようやくその単語に生命が吹き込まれた。ような気がした。

コロラドは、公用語が2つあるのかと思ってしまうくらい
スペイン語の存在感が強い。特に製品のラベルやパンフレットなど
2か国語で書かれているものが多く、カナダの製品みたいだ
(あそこは英語とフランス語だけれど)。
そして、人々の髪の毛の色、目の色、肌の色、
あまりにバラエティーに富みすぎて、
”外国人”という概念がよくわからなくなってしまったりする。
日本の田舎で白人さんをみかけるときの目立ち具合とは
まるで対照的である。

今週からESLが本格的に始まり、英語を勉強しに行きはじめた。
実感したのが、そこで出会う同じ生徒たち、
実に多様な国からきていること!!
メキシコ、キューバ、ベネズエラ、ホンジュラス、ブラジル、
エチオピア、トルコ、ベトナム、中国、韓国・・・
きっと相手にとってみれば私もその多様な国からのひとり、日本の人であろう。

それぞれがそれぞれの理由でここにいるわけで。
けれど同じ部屋にいる目的は同じ。
英語力をつけること。

それぞれの母国語の発音に引きずられながらも
必死に英語というひとつの共通言語を使って意志を伝えあうわけだ。
この国、この土地、または母国・他国での生活をよりよいものにしたい。
そういった気持ちが英語力を求めることも共通ではないかと思う。

不思議。
地球の裏側の人や、過去の歴史で苦しめたり苦しめられたりした国の人、
初めて名前を聞くに等しい国から来ている人・・・
日本にいてはよほどなことがない限り出会うチャンスが
ないであろう人たちと滞在2か月目にして出会い、
一緒に時間を共にし、共通の目的に向かっているわけだ。

自己紹介をしたり、パートナーのことを紹介したりして
沢山の情報、おどろき、再確認などを毎日持ち帰る。
〜 あたたかいうちに 〜
家に帰ると、まるで買いたてのほか弁的な気分ですぐ蓋を開ける。
復習をしながら今日の授業の風景を思い出したり、
旦那さんに様子を事細かに話したり。

どこににいても簡単に知りたい情報を引き出せる今の世の中だが、
本当にその国の人からデジタルを解さずにライブで情報を交換したりする。
しかも言語は英語だ。

あまりびっくりに値することではないのかもしれないが、
私はこの今の事実が、とても新鮮で斬新で価値のあることに
思えて仕方がない。
筋の通ったうまい説明はできないのだが、そう感じるのだ。

ただでさえコミュニケーションには困難が伴うので
異文化・異言語でのコミュニケーションはまさに困難であるとも
いえよう。聞き取れなかったり、理解できなかったりして
間違った情報が入り込む可能性だっておおいにある。
しかし、そこにあるのは文字でも紙でもなんでもなく生身の人間なのだ。。
「知りたい」という気持ちが次から次へと生まれる。
もっと知りたいと思うと、道具をもっと上手に駆使したくなる。
英語をもっともっとがんばりたいと自然に思う。

そこからまた「伝えたい」という気持ちも生まれる。
伝えるには極力正しい情報や自分の意見をぶれなく伝えたい。
洗練された英語力はもちろん、
自分という人間、母国語、母国の文化、母国の歴史・・・
多岐に目線が広がってくるのだ。

情報を鵜呑みにしてはいけないと警戒しながら触れるメディアへの
「強制」能動ではなく、自然に湧き出る「天然」能動といったらよいか。
子供の頃に好奇心に似たものもあるが、また少し違う。
好奇心の鉾先に責任が伴う点。

気候風土・文化・宗教・民族。
「ありえない」の山が立ちはだかることだってある。
それを拒絶してしまい非難してしまったら、
そこでストップしてしまうということだ。
まず、拒絶や非難・・・判断する前に少しそのことを
いろんな視点からプレーンに眺めてみよう、とうことだ。

相手にとって自分が拒絶抗体なることだって十分ありうるのだから。

まず、自分から心の扉を開いてみよう。
負の感情というものきっとさまざまな障害を乗り越えて
上手に伝わってしまうはず。
こんなことをいってると騙されるとか思われるかもしれないが、
騙されようとしてるのではない。
心の扉は何枚もあって、その一番外の扉だ。自分への入口。
感情ではなく事実を先に処理する・・・引き出しに
上手にしまっておける力を養いたい、そう思うのである。

少し話が脱線しているかもしれないが、
子供のような好奇心と感情に左右されず事実をまず受け止める力。
楽しみと精神的課題。

今すばらしいチャンスの中でかきまぜられている。